宿 第一部 9〜11
「こんばんは。あー・・・うん、あの私・・・恥ずかしいがぃ、私
こんなんカッコウで・・・ やはり、今夜はもう失礼しますに」
「静子ちゃん! あんた、吉岡さんはあさって帰ってしまうがぃ、
もーちっとゆっくりせんが。働いてる時の身なりは気にする事ない
が。あんたが良くやってるって事ですがいに、のう吉岡さん」
「あの、静子さん。良かったら上がって少し話をしていかれません
か。そのぅ、せっかくだから、ちょっとお話がしたいんです」
「私、今こちらにお邪魔出来るなりで来てないので。どうか、今夜
はもう帰らせてください」
 すると、女将は突っ掛けを履いて土間に下り、商品を奪うように
受け取って横に置くと、
「さあ、こげん上着脱いで上がらんかい、もうじれったい」
 といい、静子の胸あたりをつかむと、前ホックを引っ張ってビニ
ールジャケットを脱がせようとした。
「あ、だめ、あ!」というより早く、ジャケットの前が開いたとた
ん、俺の心臓は一瞬止まった。なんと、下に黒いゴムの服を着てい
るではないか!
「やーっぱ、静子ちゃんはこうでなきゃ。あんたはこのほうがいい
よ」
「やめてください女将さん。わたし、そんな・・・」
「だーじょうぶ、吉岡さんにはちゃんと話しましたがぃ。わたしの
事を信用せい。心配いらんがぃ吉岡さんなら」
「でも、でも」
「吉岡さんはそういうあんたを好いとるんよ。ほら、吉岡さんもち
ゃんと言わんでが! ほら、上がれ上がれ!」
「あのう、女将さんから静子さんのお仕事のこととか伺ってます。
どうか、あがって少しお話をさせてください」
 何度も二人で必死に引き止めたので、流石に覚悟を決めたのか、
「わかりました。でも、あんまり見ないでくださいね、こんなカッ
コ」
 そういいながらオレンジの長めのゴム手袋を外して、ビニールジ
ャケットとズボンを脱いだ下から、黒ゴムのウエットスーツ姿が出
てきた。
 俺は海でもないこんな旅館の玄関の薄暗がりの中で、黒いゴムの
女体を見ている事に、制御できない興奮が沸き起こるのを覚えた。
ズボンを脱ぐときに腰掛け、脱いだ長靴は膝までもあるピカピカの
大長靴だった。
 商売の為とはいえ・・・やはり普通の娘ではありえないこのなり
で、俺の中の何かがどんどん崩れてゆくのを思い知らされていた。
「すみません、こんなんで・・・ああ・・・」
「いいんですよ。いや、申し訳ない。改めて申し上げます。とても
素敵ですよ。そういう・・・その、格好は。ホント、カッコいいで
すよとても」
 俺はなんだか、働く静子をほめるように言ったつもりだったが、
流石にニュアンスが安定せず、コトバが上ずってしまった。
 しかし、静子がかすれた声で「どうも・・・」と会釈すると、女
将がまた発破をかけるように掛け声をかける。
「ほれ、今日はほかの客もない節電の館内ですがぃ、あんさんの部
屋に行きなっせ。静子ちゃんも遠慮せんと、ほれ!」
 黒いウエットスーツ姿の静子は、はだしだったのでスリッパを履
き、「では、すみませんちょっとお邪魔します」という。
 俺は導くように自分の部屋に向かって歩き出した。まったく非日
常的なこの夜の来客に、俺の理性はすでに方向を失っていた。
 途中、女将がちょっと脇の部屋にはいると、浴衣を持ってきて静
子に羽織らせた。そして女将は、「では、わたしはこれで」といっ
て別れる。
 一対一になった俺は、途中で振り返り、浴衣を羽織った黒いゴム
の娘が付いてくるのを見て、体中の血液が信じられない速さでめぐ
ってしまうのを感じた。
「俺の部屋でお話しましょう。どうぞ。ここです。いやっ、静子さ
んに今日お会いできてほんとに良かったです」
 俺が先に入ったが、静子は入り口で立ち止まり、中に入ろうとし
ない。
「さ、どうぞどうぞ」
 なんだか入り口で困ったような様子でいる。
「そんなところで立ってないで、どうぞ中に入ってください。お願
いですから・・・」
 そこまで言ってやっと、
「あのう、ほんとにこんなんで失礼してよろしいんですか?」
「当たり前じゃないですか。俺が誘っているんですから。こっちこ
そ無理言ってすみません。さ、どうぞ中へ」
 やっと意を決してふうっと一息つくと、
「では、すみません。お邪魔します」そういいながら俺の部屋に足
を踏み入れたのだった。
 中に入り、座布団を勧めると静子は、そこに小さくなってちょこ
んと正座した。かすかにゴムどうしすれあう音が聞こえる。
 俺は、伏せてあった湯飲みを起こしてお茶を注ぎ、座卓の端に置
いて勧めた。彼女は部屋の天井や周りを見渡していた。
 この前会ったときは、鼻が低いなとか腫れぼったい顔だなとか、
なんだか田舎臭い娘だと思っていたが、改めて今日見て、思ったよ
り可愛いことに気付き、胸に瞬間圧力がかかったような気がした。
 いや、もしかして気のせいか? 俺はなぜかゴムを付けた女がど
うしても美人に見えてしまう傾向があるからな。
「あ、そうか、ここの方といっても、旅館の部屋の中まであまり見
る事無いのかな? この部屋の中、なんか珍しいんですか?」
 どうでもいい話でなんとか間をつなぐが、彼女はうなずくばかり
で、時折、口もとに愛想笑いをちょっと見せる程度でほとんど声を
出してくれない。知恵を絞ってなんとか緊張をほぐそうと試みる。
 そうだ、やっぱり不自然な今の彼女の服装を、俺は理解している
んだという事を伝えねば。
「女将さんに聞きましたよ。静子さんがどんなにがんばっておられ
るか。家業を一生懸命されて家を盛り上げてらっしゃるって。ずい
ぶん頑張ってるんですね。前にお会いしたときはそういう話が聞け
なかったので、なんだか俺、ボーっとしてしまいましたが。親孝行
されるって・・・」
 すると湯飲みをとり、かすかに微笑みながら「いただきます」と
いい、一口すすった。それから静かに話し出した。
「もともとは、ウチの父が仕入れ下手で、そのことでしょっちゅう
母が文句を言って夫婦喧嘩ばかりしてたんです。で、売れない在庫
を何とかしなきゃって、いつも思ってた。高校卒業後、わたしは父
を手伝い、とにかく売り先を探したんです。そしたら案外売れたん
で・・・ 気が付いたら今までやってたっていう、ただそれだけで
に」
「ゴム製品を扱ってるって。あの・・・そういうスーツとかもやっ
てるんですか?」
「これは、わたしが始めたことです。シートを仕入れて、自分でお
客を採寸して自分で作ってるんです。講習を受けて、しばらく見習
いに出て技術をマスターしました。でも、ウエットスーツはあんま
り売れません。ここでは。だからたまにしか作れません」
 そういいながら、黒いゴムの膝の上に指で円を描き続けている。
なんだか黒いゴム娘がモジモジしているのを見ていると、たまらな
いものが込み上げてくる。
「それよか、吉岡さん、どうして女将さんは吉岡さんなら、こうい
うわたしでも大丈夫と言ってたのですか? なぜ女将さんにそんな
ことがわかるんですか? そのう、吉岡さんなら、わたしがこんな
カッコでも構わないって・・・」
 彼女は確かに俺にとってまたとない相手かもしれない・・・
 目の前にいるこの娘は間違いなく俺の嫁さんになる女だ、という
思いになってきた。彼女の身なりがどうしても強力な引力となって
しまう。
 彼女がここまで来てくれたことに、引き換えになる告白をしなけ
ればならない気がしてきた。
「俺、白状しますよ。はっきり言って俺はゴムが、そのう・・・女
性がゴムを身に付けるのとか、好きなんですよ。本当です。だから
・・・今の静子さんは・・・」
「あ、あの、そうなんですか・・・? ほんとうに? ほんと? 
・・・そんなことって・・・ でも、どうしてそういうことを・・
・ 女将さんにはどうしてわかったんですか? 秘密だったんじゃ
ないんですか? そういうことって。そうでしょ? ・・・吉岡さ
んにとって大事なことだったんでしょ?」
 俺は困ってしまった。あんな事があったとは絶対に言えないし。

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