宿 第二部 1
「いってらっしゃい。ご両親によろしゅうなぁ」
 女将に見送られ、砂利を跳ね飛ばしながら、俺たちを乗せた静子
の軽自動車は旅館の駐車場をあとにした。車内にはゴムのにおいが
染み付いていて、俺の気分を高揚させた。
「疲れてない?」彼女は運転しながら俺を気遣った。
「君こそ、疲れてないか?」
「ううん。全然ヘイキ。今日のケイカクで最高の気分なの」
 すごいスタミナだな・・・
 昨夜の風呂場でのこと。そのあとも、部屋で朝方までじゃれあっ
てたこと。まさか、彼女がこんな着替えを入れた大きなナイロンバ
ッグを、部屋近くまで運んでいたとは。
 この着替えを持って来てくれていたおかげだった。赤いゴムスー
ツ以下濡れてしまった一揃えを、きゅこきゅこ言わせながら抱え、
名残惜しい気分で風呂を出た俺は静子に、内心渋々ながら浴衣を着
せて、本来ゴム姿で大っぴらに歩かせても平気だったはずの『お客
のいない旅館』の廊下を、残念な気分で歩いたのだった。
(部屋に帰ったら、このアイテムを乾いたタオルで拭いて、もう一
度着てくれと頼もう) そう考えていたのだ。
 そんな俺に、部屋に戻ってから再度ドキッとする展開が用意して
あった。大きなバッグに詰めこんで・・・
「直接は、・・・もう十分でしょ」そういいながら、何種類ものア
イテムを見せてくれた。俺たちは、あたらしい刺激に再び盛り上が
り、彼女を着せ替え人形にしながら幾重にも幾重にもゴムを重ね、
静子に恐ろしいまでのゴム重装備をさせ、遊んだ。
 穴の開いていない完全な黒いゴムスーツ、女将と同じゴム胴長、
あらゆる種類のゴム手袋、また別の黒ゴムマントなどなど。それら
一つ一つを身に付けながら、その都度、その姿で俺にちょっかいを
出し、俺の浴衣は殆ど肌蹴てしまっていた。俺は、我ながら何度も
復活できる自分に感心した。このものすごいゴム女の前で・・・

宿 第二部 2
 まったく恐ろしいほどのコレクションだった。
 そうして一段と盛り上がりながら、ほとんど明け方まで過ごして
しまった。彼女は黒いゴム手に俺の白い廃液を何度も受け止めた。
 今、後ろの座席に放り込んだ、昨夜の大量のゴム製品を見るにつ
け、静子という女性がいかに特別な存在であるかを感じ、二十数年
間に及ぶ夢が、いま横にいる事を何度も何度も味わった。今のカッ
コは今朝、先に起きてからの普通の服装のままだったが。
 おそい朝食を用意してくれた女将が、
「せーっかくだんだから、藤木さんにご挨拶されよ吉岡さん。のう
静ちゃん、あんたもちゃーんと吉岡さんをおとさん、おかさんにご
しょうかいせな」
 それはそうだ。昨夜、宿に引き止めてしまった事もあるし、俺は
この際、親にきちんと挨拶をしようという気になっていた。静子は
微笑み、黙ってうなづいていたが、何を思ったか、突然くすくす笑
い出した。
「なに?」と聞けば、「吉岡さんにいい事してあげる。やっぱり最
初にウチに来てもらうのがいいわね」と。
 もう一度「なんなの?」と聞いても、「いい事」と言って笑って
いるばかりだ。今も運転しながら、時折含み笑いを浮かべている。
「ないしょ」としか言わない。
 俺はいずれにせよ、まず両親にうまくあいさつするのが、今は大
事だと思って、それ以上詮索はしなかった。その意味では、もっと
キチンとしたなりで来るべきだったのだが、彼女は、今日は今のラ
フな服装でいいよと言って聞かなかった。が、今になって少し後ろ
めたい気がして来た。
 外はにわかに雲行きが悪くなってきて、車窓には急に雨粒がぽつ
ぽつと現れ、やがてワイパーを動かさなければならない程になって
きた。
 彼女はますます笑顔になり、小さい声で「ナイショー、ナイショ
よ、ナイショなのー」とか口ずさんでいる。

宿 第二部 3
 藤木商店は、旅館を出てしばらく続く農道を抜けてまもなく、街
中に向かう途中の家並みに並ぶ、古いが大きな店であった。庭と脇
に蔵も見える。
 俺が仕事で通る道ではなかったので、今まで気付かなかったのも
無理ないが、看板には大きく藤木商店とあり、脇に横並びに《雨合
羽、ゴム前掛け、ゴム長靴、ゴム手袋、ホース、各種》とか書いて
あったので、もし見つけていたら、間違いなく覗いていただろう。
 古いガラスのショーウィンドウには、静子手製であろう黒いウエ
ットスーツを着た古い女のマネキンがおかれ「ウエットスーツ立体
裁断承ります」「お仕事やレジャーに」などと書いた模造紙のポス
ターが張ってある。ウインドウの横、昔ながらの黒ずんだ木枠のガ
ラス戸の中は、うす暗がりに白や黒のゴム長が並べてあり、炊事手
袋各種が、スーパーで見るような場違いに明るいカラーリングの、
POP付き店頭什器のラックにそろえて置かれている。奥には長手
袋、田植え長、腕カバー、水中長、胴付長靴などが天井からぶら下
がりながら、薄暗がりに怪しく光っているのが見えた。全体的に古
びてはいたが、掃除も行き届いており、ほこりを被った商品や色あ
せた商品が無かったせいか、この手の店にありがちな「死んだ」よ
うな印象はなく「生きている」感じがした。
 もし、照明を入れたら、みなつやつやに光っているんだろうなと
想像してみた。
 木戸にかかっていた鍵を開けながら「あーあ」といって、一瞬残
念そうな顔をした静子は、すぐさま笑顔に戻った。旅館を出るとき
に、静子が家に電話をしておいてくれれば、そんな事にならなかっ
たのに、あいにくご両親は出かけていたのだ。
 家に招きいれられた俺は、車の中より濃厚にその店の中にこもっ
ていたゴムのにおいに、一瞬くらっとした。この空気の中で呼吸し
ながら、彼女は大人になったのか・・・

宿 第二部 4
「ねえ、入って」
 店の奥に住まいに通じる戸口があり、靴を脱いで中に入った。湿
気た家の中では、柱時計が11時にはまだ少し早いのにボーンと時
を告げていた。
 暗く急な階段を先に上りながら、「さ、こちらにどうぞ」といって
俺を手招きした。そうしながら、彼女は先に行ってしまった。俺は
いったん車に戻って、嬉しくなるほど重たい例のバッグを持ち、後
から追いかけてゆくと、二階廊下の横に戸が開かれており、中で静
子が急いで片付けている。
「あ、荷物ごめんなさいね。散らかってるけど私の部屋、どうぞ入
ってください」そういいながら、行ったり来たりしている。
「お邪魔します」
 俺が足を踏み入れたとき、彼女はカーテンをあけ、部屋に光を入
れた。壁際に置いた洋服かけには、普通の服が並んでかけてあった
が、その横の壁に黒いウエットスーツの上着と上下ワンピースがハ
ンガー掛けしてあった。部屋の隅には、膝丈まである珍しい赤いゴ
ムの女性用ロングブーツ。そして衣装ケースがいくつか重ねてあっ
た。車で持ち込んだもの以外にも、まだ相当自分用を持っている様
子であったが、今見えているのはそれだけであった。ところが俺の
視線を察していたのか、見透かしたように、
「上の2個のケースは全部ゴムのものです。いろいろ入ってるの。
これだけじゃないけどね」と、こともなげに静子は言った。
 俺を椅子に腰掛けさせると、一階に降りてお茶と茶菓子を持って
きた。そしていたずらっぽく微笑みながら切り出した。
「せっかくウチも他の邪魔が入らない状態だから、いよいよ吉岡さ
んを私と同じにして差し上げますね。最初にサイズを測らせて・・
・ そうすれば、吉岡さんにうんといい思いをさせて差し上げられ
るのよ」
 そういって、サイズ表を片手に、俺の全身をくまなく計測し始め
た。
「あとで、ウエットースーツ作って差し上げます。でもこれはちょ
っと時間がかかるから、今日はサイズだけ取らせて頂戴ね。それか
らそれからーっと・・・」
 計測が終わると、
「よし! ここでちょっとまっててね。すぐに一揃え揃えて来るか
ら」
 そういい残し、すごい勢いで階段を下りていった。

宿 第二部 5
 階下での物音に聞き耳を立てながら茶を飲み、部屋の中を見回し
ていると、やがて、キュコキュコ騒音を立てながら、茶紙に包まれ
たいくつかの商品を持って静子が戻ってきた。
「お待たせ、ほら!」
 大きな紙包みを解くと、中から予想通り黒くて大きな胴付長靴が
艶やかに光り、ゆっくりながら弾けるように出してきた。
「さ、履いてみて下さい」
「じゃあ・・・」
 と言われるままに、そのオバケ長靴の履き口と言うのか、胸の部
分を持ち上げ、ソックスを履いた足をの中に跨いで入れた。すべす
べ冷たく滑らかなゴムのウネリの中に入ってゆく俺を見ながら、嬉
しそうに、「うふふ・・・どお? ねぇ、どお?」と聞く静子。
 両足が入り、ズボンを持ち上げるようにすると、履き口はわきの
下まで達し、同時に俺の鼓動は高鳴っていた。はじめてこんなに深
くゴムに包まれた俺は、つい笑みがこぼれてしまい、一気に興奮状
態に入ってしまった。平ゴムの肩掛けを結ぶと静子と目が合う。
「どお?、ねーすごいでしょ! すごいでしょ、すごいでしょ!」
 とはしゃぎ、「今度はこれ!」といって、やはり肩までの長ゴム
手袋を渡された。俺がかすかに震える手でそれを受け取り、片方に
手を入れようとしている時、彼女は我慢が出来なくなったのか、昨
夜のバッグを手早く開け、自分も黒いゴム胴長と肩までの長ゴム手
袋を嵌め、俺が長ゴム手袋を両手にし終えた時には、二人とも同じ
になっていた。
 彼女が「吉岡さん、私たち・・・」とつぶやき、しばらく見詰め
合っていたが、俺も限界になり、彼女のゴム手を取って引き寄せ、
思わず『キュグゥッ!』と抱きしめてしまった。

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