宿 第二部 6
「吉岡さん、吉岡さん・・・ 私のゴム人間・・・ もっと、もっ
と凄くしてあげる・・・ わたしの、私のゴム人間に・・・」
 一旦離れるとお互いを見詰め合う。彼女は昨日散々俺の男の部分
をもてあそび、何度も逝かせてしまったあの黒いゴムの手で、俺の
ゴムの胸元やうでを静かにさすった。今度は黒いゴムの掌で俺も彼
女をさすり、お互いに同じゴム装備で向かい合っている事を確認し
あった。
 彼女はちょっといたずらっぽく、上目遣いにこちらに微笑みかけ
ると、ゴムの人差し指と中指をそろえ、さっき俺に出した湯飲みに
まだなみなみと残っていたお茶に指し入れた。水をしたたらせたこ
の指を俺の胸にこすりつけ、ピッキューゥゥゥッ、という濡れゴム
の音をさせる。
「ああ、なんていいんだろう」そう言うなり、彼女はその指をその
まま俺の股間のところまで下げていった。「ここ、どんなふう?」
と聞きながら、ゴムのまたの中に硬直した肉棒を探り当てていた。
 『ああ・・・』なんというひと時だろう!
 二人はまた同時に抱きつきあい、俺はしがみつく黒光るするゴム
の娘を、同じゴムの手でぎゅっと抱擁する。やかましくギュワギュ
ア音を立ててお互いの体をさすりあう間、静子は何度も俺をゴム人
間と呼び、俺自身もこんなゴムに包まれてしまったことで、自分自
身がもの凄い力や感覚を得たような気分に一気になってしまった。
 子供の頃、親が留守のときにゴム手袋を嵌めると沸き起こってい
た鮮やかな興奮がいま全身を包み、静子と言うゴム女とその感動を
完全に共有できる喜び、電撃的な共感の中で爆発的に膨れ上がり、
ついに、俺の中から荒々しいゴム人間の本性を吹き上がらせてしま
った。
「んぬぅぅう! し、静子、うおおおっ」
 二つの黒いゴムの体は、更に強く更に激しくさすりあい、抱きし
め、ぬれた歯をその黒くつるつるした強靭なゴムの体に押し当てあ
い、妖しくぬめり光る互いの黒いゴムボディに噛み付くようにキス
する!
「うわをぅ、んがぁうううう」
 二人のゴム人間は凶暴な咆哮をあげながら、あっという間に人間
を離脱してしまった。
 その時だった。木戸を開ける音と共に、「ただいまぁ・・・ 静
子ぉ帰ってるのか。おっ? お客さん来られとるんか」
 階下から男の声が聞こえた。

宿 第二部 7
 両親だ! 二人は弾けるように離れると、あわててゴム装備を脱
ぎながら、「はーい、お帰りぃ、いま下に降りるが」と静子の取り
繕いで間を持たせた。
 ほんのひと時だけゴム人間になり、また一瞬で普段の姿に戻った
事が、なんだか急におかしくなってきた。こういう危うい経験を子
供の頃なんどもくぐり抜けた俺だったが、多分彼女もまったく同じ
ような子供時代を過ごしたのだろう。そんなことが頭をよぎった。
なんともバツが悪いと言う反面、お互いがこんなにも共振している
事が嬉しく、二人して顔を見合わせ笑いをこらえながら、脱ぎ散ら
かしたゴム胴長やゴム手袋を片付けたのだった。

「お帰りなさい、あのね、おとさんおかさん、こちらが先週大野屋
さんの喜美さんに紹介していただいた吉岡さんです」
「はじめまして、吉岡です」
「ああ、娘から話は伺っとりました。東京のお方でらっさる。よろ
しゅーにお願いしますな。こんな汚いところですが、よかったらゆ
っくりしてってくだっし」
 俺はいきなり切り出してしまった。
「あの、お父さんお母さん。お会いして早々ですが、私は今日、自
分の気持ちをきちんとお伝え致したく伺わせて戴きました」
 なんだかついさっきまで、二階であんな事をしていた後ろめたさ
か、元来のバカ正直な性格のせいで、唐突なんじゃないかと配慮す
る余裕さえ無かった。
 一瞬沈黙が走ったが構わず続けた。
「あのぅ、私はお嬢さんとは結婚を前提に御付き合いさせて頂いて
おります。どうかよろしくお願いいたします」
 そういいながら三つ指突いて頭を下げた。
 あまりに急な挨拶で、横にいた静子もびっくりした顔をしていた
が、両親は案外落ち着いていて、母親は一呼吸置くと「ほほっ」っ
と微笑みながら、ヤカンが笛を噴き出した台所にむかって席を立っ
た。父親もゆっくりまばたきしながら静かに返してきた。
「まあ吉岡さん、私らの事は大丈夫だに、娘と二人でよく話し合っ
て決めてもろたらそれでいいですが。あなたさんのお気持ちは私ら
もありがたく承りました」
「ありがとうございます!」
 それから俺は自己紹介をした。
 昨夜、彼女を泊めたこととかもきちんと報告しようかと思ってい
たが、もうそこまで話す必要はなくなったような空気を感じ、それ
はやめにした。なんとなく受け入れられた空気を俺は感じながら、
母親の手伝いにコーヒーの香りが流れてきた台所へと、静子の足取
りも心なしか軽やかそうに見えた。

宿 第二部 8
 仕事の話や、この村に何度か出張で来ていたが、東京と違って空
気もいいし、食べ物もおいしいですね、など等なんとか話題を見つ
けながら途切れ途切れ両親と話した。
 途中、静子はお客の電話を受け「午前中わざわざ店に足を運んで
くれてたんか、それは留守にしてて申し訳ありませんでしたね」と
あやまっていたが、はきはきとした応対のよさを見せていた。
 そんな静子を顎で指しながら、
「これの事を、大野屋さんの女将さんがえらい気にかけて下そうて
て、私らも有り難いこったと常々思うておりました」
 という父親の顔に、なにか一抹の寂しさがよぎったような気がし
た。
「さぁて、こん店も、あとどれくらい続けられることやら・・・」
 というセリフが付いて、俺はハッとした。この店の現実。静子の
結婚はこの店にとって、当然決定的な意味を持つはず。
 俺がこの家、この店から彼女を連れ出してしまうとしたら・・・
 それとも俺がこの家に来るか? 仕事を捨てて・・・? 結婚す
るなら、俺がこの村に居つく事が出来なければ、この店は廃れて行
くしかないのか・・・ 静子はどう考えているのだろう?
 気の早い柱時計に昼を告げられ、場の流れが区切れた。
「あら、もうこんな時間な。コーヒーなんぞ飲んでる時間でも無か
ったの。寿司でもたのもうか」と言い出した母親は、すぐに打ち消
した、「ありゃ、そういえば金曜まで中田さん休み言うてたなぁ。
他んとこではなぁ・・・ 困ったわ」
 俺を気遣って皆でご馳走を囲もうにも、いい店が無いらしい。す
ると、
「ねえ、おとさんおかさんには悪いけど、私らだけで出かけるわ。
ちょうど、さっき川清さんから電話で頼まれもんしたとこだったか
ら、一緒に行ってうなぎでも食べてくるわ」と静子が切り出した。
「おめ、仕事んに吉岡さんご一緒させたら失礼だが。きょうは俺が
行くで」
 と父親が制するので、俺は、
「いや、私の都合で、平日の昼間にお邪魔させて頂いてるんですか
らお仕事優先で行きましょう。私もこの村をもっとあちこち見て回
りたかったですし、今日はこんななりで、手ぶらで突然伺わせて頂
いただけですから、またゆっくりお邪魔させて戴きます」
 と言って深く頭を下げた。
「そうですか? まあ、こちらもあいにくロクにお持て成しも出来
んから止む終えんしの」父親に母親が続ける。
「そりゃなんだか、せっかくお越し頂いたんに申し訳ないの。んな
静子、吉岡さんと川清に出かけて来ね。これ・・・」
 そういいながら、静子に札を握らせていた。
「あんた、今日はあんまりとっぴなカッコで行くでないよ」とか小
声で言いながら。
「ついでにあちこちお連れするから遅くなるよ。吉岡さんいま用意
してくるからちょっと待ってて」といい、静子は居間を出て店に下
りた。
 荷物を外の車に積み、また2階に駆け上がったりと、静子がせわ
しなくしている間、父親は電話をかけた。
「ああ、川清さん? 藤木です、さっきはこっちに寄ってもらて留
守しててすまなんだな。あとで静子がそっちお客さんつれてくに、
よろしくたのんますで。大事な客だに養殖はいかんで、特別のな。
・・・お、そんなが獲れたか。お、そうか、そりゃちょうどえかっ
た。そーれは、具合がええね」
 電話を切ったあと、父親は、
「この店はええうなぎ使いますから、うまいんですよ。オヤジが自
分で川に入ってこう・・・」と説明し始めたのだが、
「用意できました。吉岡さん、出かけましょう」と静子が遮った。
 期待の『雨の日の配達』だが、『うわさの看板衣装』というので
はなかったが仕方ない。

宿 第二部 9
 店を出て、やがて人通りもまばらな駅前を通り越し、小雨の続く
田舎町の町並みがしばらく続いていた。駅前のコンビニだけが蛍光
灯の透過光でプラスチックの鮮やかな色彩を見せていたほかは、朽
ちてしまったような洋品店や食料品店が並ぶ道沿いも、寂れゆく田
舎町の実情を表しているようだった。駅前からの見慣れた通りはす
ぐに横にそれてしまい、再び見た事のない区画で風化した家々の軒
が続く。
 さっきから俺の頭のなかにひっかかっていること。(あの店に未
来があるのだろうか?) 後先考えぬ無責任な俺のフライング発言
が苦々しい後味になって停滞していた。そのくせ、一方では生まれ
て始めての胴長で胸元までゴムで覆われた興奮や、はしゃぐ彼女と
の一瞬が脳裏をよぎり、思考の秩序は乱れたままになっている。押
し黙っていたせいで、ワイパーの音が単調に続く車内の空気はいつ
しか硬化してしまっていて、きっかけのつかめない俺は窓の外をぼ
んやり眺めていた。
「ここ、私の小学校。こんな小さな学校でも今は教室が余ってるん
ですって。何年前から人が減り続けてるのかしら・・・ さびしい
でしょう?」
 沈黙を破ったのは彼女だった。その一言のおかげでいくらか気分
が和んだ。
「いや、なんだかさっきの緊張、そのまま引きずっちゃってて・・
・ いきなり切り出しちゃってごめん。君の気持ちもまだ聞いてな
かったのに・・・ でも、本心だったんだ。どの道、俺にはもう君
を手放す事は出来ない。そのことは、俺にとってもうどうする事も
出来ない」
「本気になってくれてるんだってこと、嬉しかったです。あなたの
偽らざる気持ちを・・・感じます。私たちの周りにある事は全部本
当のこと。今の私たちにうそは無いのよね。それって凄い事とだと
私、思う。それと、その、『どの道』って言うのも。急な事だった
ものね」
 俺は一瞬言葉に詰まった。俺の前に出てきた現実、新たな悩みの
分かれ道が、言葉になって口に出てしまった。
「すまない、俺が先を急いじまったもんだから。まだ、なんにも知
らないし、なんにも決めてないのにな」
「そういうのって、私は嫌じゃない。それに・・・ これから二人
で決めて行けばいいんだから。ね。あー、わたしたちにはこれから
やんなきゃならない事が一杯あるね!」
 彼女の言葉は俺に、(そうだ、これからなんだ)という素直な気
持ちを起こさせた。そんな彼女のけなげさに生きる力を感じ、夢の
中だけでなく現実の中で生きてゆく上でも、俺には彼女が必要なん
だという事実に一歩近づけたような気がした。
 車は家並みが途切れる町外れで右折し、やがて舗装も途切れがち
になりながら、雑木林に続く山道へと入っていった。彼女は道道、
この辺でも昔は作物を作ってる人もいたけど、今ではすっかり人が
立ち寄らない放りっぱなしの場所ばっかりで、手付かずの土地には
色んな生き物が暮らせる環境が出来上がっているんだ、という話を
した。
「過疎化が進んでるっている事が、色んな生きものによっては環境
が良くなってるということなんだとか、東京から来た大学の学者先
生が喜んで言ってたって。それって褒められてるのかしらね?」
 笑いながら付け加えた。
「私もそん中の生き物の一匹だねきっと。きゃはは」
 そんなことを言ったかと思うと、運転しながら俺の方を見て、
「♪ワタシは沼の娘です、ケロッ、ケロケロ。なんてね!」とふざ
けて見せた。

宿 第二部 10
 でこぼこ道は、じきに下り坂になり、木々の合間に川が見えて来
た。しばらく川沿いをいくと視界がひらけ、水田が広がる景色の中
に橋が見えてきた。橋の近くには低くうなっているポンプや配管が
這い、いくつもの大型のプレハブ平屋やビニールハウスがある。壁
面には「川清養殖場」の文字。
「仕事はあと。先にお食事」と言いながら過ぎてゆくと、その向こ
うに植え込みで囲われた大きな敷地と奥に瓦屋根の建築物がみえ、
近づくとその門に「川清」の看板が見えた。
「藤木さん、ようこそいらっしゃいまし。お待ちもうしとりました
で」
 よく拭きこんだ木枠のガラス張り引き戸を開け、油石を敷き詰め
た玄関に入ると川清の年老いた女将さんに迎えられた。
 靴を脱ぎそろえ、かすかにお香の香りと蒲焼のにおいがただよう
日本家屋の廊下を抜けると庭が見える畳敷きの大広間に通された。
広間にはいくつかのお膳が余裕を持って置いておかれており、その
何席かはお客でふさがっていた。奥のほう、大きな掃出しのガラス
戸手前に置かれた、古びた黒塗りのお膳に予め二人の席は用意され
ていて、静子は俺を眺めの良い方の席にかけさせた。
 庭の向こう、垣根越しには水田が広がって、都会人には特に喜ば
れそうな田舎らしい雰囲気の店だと思った。
「めったに来ないんだけど、たまにはね」
 たしかに、ちょっと高そうだ。
 お茶が運ばれるとほぼ同時に、
「いやぁ、静ちゃん、いらっしゃい。今日は大事なお客人だからっ
て、さっき親父さんから電話があったがぃに、特別なん用意さして
もらいましたで。お客さん、東京の人ですか?」
 赤黒く日焼けした、ごっつい感じの主人が今の今まで作業をして
いたといういでたちで、手ぬぐいを首に巻いたまま顔をほころばせ
ながら、だみ声で挨拶してきた。
 この人も普段は静子のお客、ということを考え、俺も出来るだけ
愛想よく受け答えしていた。
「社長、いつもありがとうございます。お食事戴きましたらあとで
事務所の方にご注文のお品をお届けに伺います。あの、そのとき良
かったら作業場見学さしてもらえんでしょか? 東京の人は見る機
会もないし」
「ああ、いいよ。そんだら静ちゃん、また餌やりしてみっか? こ
ないだみたいにの。あーれはお客人にも見せてやらな。静子式給餌
法。いいよありゃ。うなぎがきゅうきゅう啼いて喜ぶで、なぁ、あ
ぁ? あーりゃいいよ。ははは」
「やーだもう、社長、私で遊ばないで下さいな、んもう。あんなん
人様に見られたら恥ずかしいがぃ」
 ほほほと笑いながら静子は赤らめた顔を伏せた。
 しかし主人はその気になったような顔つきで続けた。
「静ちゃんの胴付き長靴、車ん中にあるんだろ? んな、わし、梅
田課長に言っとくから、の。あとで仕事手伝ってってや」
 そんな事を話しているうちに盆が運ばれ、何となく気になってい
た俺もその事に付いてここであれこれ聞くのはやめにした。

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